だいきちせんせい

芸人本シリーーズ。

年齢学序説

年齢学序説

中学イケてない芸人でおなじみの博多大吉さんのはじめての本。最近ナイナイのANNを聴きちぎっているアタシにとっては、岡村さんの結婚相手として「パン屋かケーキ屋で働くガッキー似の処女」を探しておられる心優しい芸人さんでおなじみです。
なんてことない1の話を100までふくらませるのに長けている芸人さんにかかると、「選ばれし者は26歳の時に時代を掴む」というキーワードだけでこれだけ面白い本が一冊書けてしまうのですね。ひたすら感心しながらあっという間に読み終えました。大胆に飛躍しつつもどこか遠慮深く展開する大吉先生の筆力は圧巻モノです。
年齢学というどうみてもトンデモな学説(?)のところどころに、大吉先生の人生観や、大好きなプロレス・大好きな芸人さんに対する愛情が織り込まれていて、そこがこの本の魅力だと思うんです。
なかでもいくつかの人生観、死生観に心打たれたので、失礼ながらまるごと書き起こしておこうと思います。

個人的には、人生とはスタンプラリーだと思っている。人は誰しも「記憶」という台紙を持ち、そこに「思い出」というスタンプを押しながら、それぞれの「寿命」という有効期限内を生きているのだ。
どうせ押すというならば、できるだけ色鮮やかなスタンプを押したいと思うのが人間である。だからこそ、我々には「向上心」という名の「欲望」が装備されているのではないだろうか?無論、その出来栄えには個人差がある。懸命に努力してもスタンプがズレたり、予想外のアクシデントで上下が逆になったり、一瞬の判断ミスで色が滲んだりすることも、人生においては多々あるだろう。しかし、決して忘れてならないのは、それでも「押している」ということだ。そこに「優劣」は断じてない。そこにあるのは、その出来栄えに本人が満足しているかどうか、ただその一点だけなのだ。

もの凄くネガティブなポジティブ。周囲からそう評されている僕の根底に流れているのは「世界一の長寿」思想だ。芸人の世界にいるぐらいだから、こんな僕でも多少は「後世に名前を残したい」という欲はある。そこで僕は昔から、自分が150歳ぐらいまで生きる人間だと思うようにしているのだ。そうなれば、絶対に僕の名前は歴史に刻まれるし、少なくともギネスブック入りは確定である。もちろん、この思想には何の根拠もない。特に摂生をしているわけでもなく、お酒も煙草も好き放題で生活しているが、それでも、僕は自分が世界一の長寿になると信じている。
なぜならば、こう考えて生きていると気が楽なのだ。先人が口を揃えたように、人生とは山あり谷ありである。そんな人生を歩むにあたって、自分が150歳まで生きると思っておくと、驚くほど都合がいい。仮に良いことがあれば「この先の人生150年以上、今後どれだけ良いことがあるのかな?」と期待できるし、仮に悪いことがあれば「まだ人生は150年以上もあるんだから、ここで嘆いてもしょうがないか」と割り切れる。そして何より、僕は世界一長生きする人間なのだから、多少つまづいたところで、これぐらいのハンデはあって当然だと、そう素直に思えるのだ。
万が一、僕が150歳まで辿り着けなくても、そのギリギリまでは生きるつもりでいるのだから、もし後悔するとすれば、それは命の火が消える一瞬のことであろう。つまり、その瞬間まで僕は何があろうと「上」だけを見続けられるのだ。

この他にも折にふれ読み返したい言葉満載です。

人生に無駄な時間など露ほどもないのだ。

一見誰にでも書けそうな肌触りのよいこの一文が、本を読み終えると強い説得力を持って胸に響いてきます。