みやもとさん・2


熱に浮かされたようにエレカシのことばかり考えています。朝起きてから夜眠るまでの間ずっとそいつのことを考えてるならそれを恋っていうんだぜ、みたいな漫画が昔ありましたので、これはもう恋なのだと言いきってしまうことにします。その漫画は言うまでもなくBLモノですが、なにか。巨匠・高口里純テンテイの「幸運男子(ラッキーくん)」とゆいます。すっかりBL界に腰をすえてしまったらしい高口テンテイですが今のところこれに優るテンテイの作品をアタシは読んだことがありません。みんな読むがいいです。


さて恋に妄想はつきものですので、ネットで集めた情報を材料にああなんじゃないかこうなんじゃないかと真実なんて確かめようもない裏事情のことなどについて自分勝手に脚色して考える。それがとても楽しいのです。ゲーノー人のプライベートなんてどうでもいいじゃないか、余計な詮索は相手に失礼じゃないか、歌手なら歌を役者なら芝居を、そこだけを楽しめば良いじゃないか、ふと我に返ってそんなふうに思うときもあります。でも気付けばまた妄想してる。要はゲーノー人、というよく知ってるようでいて他人、な距離感が一番妄想の余地があるってことなんです。逆にそういう”のりしろ”がないと妄想はしづらくなっちゃいます。


エレカシの「悲しみの果て」を聴いて素通りできる日本人はたぶんいないんじゃないかと思うんですけれども、アタシはこの曲でエレカシを知りました。たしかTVのCMだったと思います。唄い出しを聴いた途端、その声とメロディーと歌詞にズギャーンときて、ちょっと身動きできないくらいだった。今調べたら1996年…12年前にもなりますか。悲しみの果て、という途方もなく強い言葉を自分から言い出しておいてなのにそれを知らない見たことがないってあんたそんな、みたいなところに勝手に不条理を感じて肝心の言葉の意味は深く考えずにそこの部分だけを何度も何度も心の中で反芻して楽しんでました。でも12年たった今聴くと今度はその辺の強い言葉に流されるってよりかは、悲しみに果てなんてなくて部屋を花で飾ったりコーヒーを飲んだりするときにもずっと悲しみは続いていてそれでも素晴らしい日々を送っていくんだぜ、悲しみと日常と喜びは共存してるんだぜ、とかってまた勝手に解釈して勝手にグッときたりするわけです。更に、レコード会社に契約を切られるとゆう、バンドが危機に瀕していた時期から脱したあとに発表された曲なのでした〜みたいな歴史まで知っちゃうと当然妄想は加速しますよね。


みやもとさんの一見奇天烈なテレビトークを、じっとじっとみてるとその内側にある聡明さや心遣いに気付きます。そこで妄想を膨らませて、あの警戒心の強い小動物みたいな様はやっぱり自分の大事なものを守ろうとしているからに違いない、とか話したいこと伝えたいことが次から次へと溢れてでもそれを上手に話すにはまず何から話せばいいのか誤解なく受け取ってもらうためにはどうしたらいいのかそもそもこんなこと自分が言ってもいいのかとか色々考えて結局何も言えなくなってしまってそれが歯がゆくて悔しくてああいう言動になるんじゃないだろうか、とかを勝手に決めつけて考えるのが楽しくてしかたがない。かなり決めつけてはいますがしかしそれが事実かどうかは全く関係ないことで、行き過ぎた妄想にとっては本当のことなんて邪魔でしかないのです。


長々と気持ち悪いことばっかり並べてきましたが、結局何が言いたいのかといいますと、今週頭から毎日ほとんど寝ずにエレカシのことを考え続けたせいで、ついに今朝起きたら10時半でした、てことです。ほんとさーせんっ!