ハートをつなごう


LGBT・第2弾の第2夜。第1夜は見逃しました。


アタシはゲイでもレズでもバイでもトランスジェンダーでもない、男性が好きな女性ですけれども、「マイノリティ」ってゆう枠組みに興味があるので、こーゆー番組とかニュースなんかは気になる。非モテとか負け組なんかもマイノリティの一種だと思うんですよ。なんだか知らないけど気付いたらいやおうなしにそこに属してた、てとこが似てる気がする。その、属す場所、てゆう枠組みがいつの間にか発生していつの間にか名前がついちゃう、てゆう現象が面白いなあ、と。そういう意味で、とある枠組みの中ではアタシもマイノリティの一員なわけだし、人事じゃないって気がするんです。ちなみにニートは職業。引きこもりは病気。いやおうなしに、とはちょっと違う気がする。腐女子は趣味です。


番組内で「親しい友人にカミングアウトしたときに相手が自らのことを指して”普通の”と言った。じゃあ自分はなんなんだ」と言葉を詰まらせてた方がいたんですけれども、たぶんそのあとに続けたかったのは「じゃあ自分は異常ってことなのか」みたいな言葉だったんじゃないかなぁってゆう憶測をもとに、思ったこと。
そこで、その友人の配慮が足りなかったね、で済ませてもいーんですけれども、本当の問題はそのひとは自分のことを”異常”なんだって常日頃から泣きたくなるほど思い込んでるってことです。そう思い込まざるを得ない状況のほうを、なんとかしなきゃいけない。”普通”なんてゆうそのへんにごろごろ転がってる言葉で傷つく人がいるだなんて、とっても窮屈なことだと思います。「自分はマイノリティなんだ。だから死ななきゃ」なんて思わず考えちゃう、世の中の気分を、なんとかしなきゃ。


学校の先生に同性愛者である自分について相談したら「今は混乱しているけど、そのうちそう思わなくなる」と言われてショックだった、みたいな残念なケースも紹介されてました。勿論そうじゃない先生もちゃんといて、事情に詳しかったり無理に理解してくれるよりも、認めてくれるってことだけでかなり救われるんだ、って話も出てました。そのへんはほかのことにも通じる話だな〜と思ってきいてました。


あとは、好きな人は出来るけどなかなか告白できないので両想いがどういうものなのかわかんない、っていう女子高生に石田衣良テンテイが「両思いっていうのは、何も言葉にしなくても、目を見ただけで自分が相手を好きなこと、相手が自分を好きなことが伝わるってことだよ」と説明したあとに全身をくねらせて照れくさがっていたのが印象に残ってます。可愛い中年!隣でソニンもくねってた。


その女子高生が出会いがない、みんなどうやって恋人をつくるの?ってきいてて、オマオレオマオレ!とも思った。油断しまくりの行き遅れと一緒にすんな、って言われそうだけど、ボーっと待ってるだけじゃ恋人は絶対に出来ない、ってのは全人類共通だよ!もちろん見た目とか性格も大事だけど、出会わなければふられる事も出来ないんだよ!


30分番組では語りきれないテーマだと思いました。色んな人の色んな意見をもっとどんどん知りたい。LGBTに限らず、マイノリティの意見を大多数の力でなかったことにしたり無理矢理軌道修正しようとするのはどうかと思います。わからない、理解できないって理由だけで排除しようとするのは愚かなことだと思います。それにはやっぱりたくさん話をきくことですもね。第3弾にも期待。その前に見逃した第1夜の再放送を見ねば。


日英のLGBT団体が交流する様子をピックアップする形で番組が進行していったんですけれども、その中で自己紹介をしているシーンがあって、「男性です。男性が好きです」とか「女性です。女性も男性も好きです」とかきっぱり言ってる人がいる中で「女性です。性自覚がどっちかは決めてません」っていう人も当然いて、ホント色々なんだな〜と思った。


区別がいつの間にか差別になってる、ってことってあると思うんですよね。いったん白黒つけちゃうと、じゃあアナタはどっち?ってことになる。どっちでもいいし、どっちもでいいし、どっちじゃなくてもいい。どこまでもボーダレスで、フラットでいいと思うんです。


ちょっと違う話になっちゃうかもしれませんが。アタシ自身、出来ることなら分け隔てのない人間になりたい、という憧れがあります。
もともと極端な考え方をしがちの単純人間だもんで、かなり失敗も多いです。何もかもどうってことないって顔して生きていたい、てのが行き過ぎて「どうってことない」が「どうでもいい」になっちゃったの巻。
友達のそのまた友達がゲイでね、って話をきいた次の機会にまたそのゲイの友達の話題になったので「ああ、こないだ言ってたゲイの友達?」って言ったらちょっと嫌な顔されちゃった。アタシの中ではゲイとかっていうのは所詮「ああ、あのメガネかけてる…」程度の、単なるその人の特徴でしかないよねってのがあったんで軽い気持ちでそう言ったんですけれども、友達は「いちいち”ゲイ”を取り沙汰しなくても…」みたいな顔でアタシを見てました。
よく考えるまでもなく、ゲイとかってゆうのはメガネかけてるレベルの特徴じゃないんですよね。言ってしまえば性癖・性趣向、なわけですから。「こないだあの子とご飯食べに行ってね〜」って言われて「ああ、あのサディストの?」とは返さない。「ああ、あのロリコンの」「あのスカトロ好きの」なんて返すわけないんですよ。(同性愛は性癖とは違うよ、って人もいるかな。あくまでもアタシの中ではそういう位置づけってことでひとつ。性指向?が無難な言い方なのかも)やっちまったな〜と思いました。差別イクナイ!ゲイとかそうでないかなんて大した問題じゃない!みんな一緒!って考えすぎて、何もかもをごっちゃにしちゃった、てゆう。そういうことじゃあ、ないんだよね〜!
ただね、気のせいかもしれないんだけど、その「私の友達にゲイがいてさ…」って話してるときの友達が、何となく自慢げにアタシの目にはうつって、それってあんたの自慢なの?!って思ったことがずっと引っかかっていて、それで二度目のときに「あんたが自慢してるゲイの友達とやらなんて、単にメガネ男子を自慢してるみたいなもんで、全然自慢でも何でもないんだからね〜へへん」ぐらいの気持でわざと軽く「あのゲイの?」って言ってやった、言ってやったよアタシ!みたいなところもあったんですよね…我ながらバカ過ぎる。
理想のフラット人間にはまだまだ遠いです。所詮なれないからこそ憧れる、という面もありますけれども。一歩間違うとどっちつかずの優柔不断人間になっちゃうから要注意ですね。


とりあえず今日のところはこやって書いてはみたけれど、頭の中でぐっちゃぐちゃ考えてるののちょこっとしか書き表わせた気がしないし、明日も今日と同じような内容で書ける自信がありません。全然着地してる気がしない。自分の中でまだまだ流動的な問題なんだと思う。自分のことも世間のことも、もっと知って考えないといかんなぁ。ゆっくりやっていきます。